ABOUT 000
000の原点
3つの「0」の由来
私たちは、明治10年(1877年)から140年にわたって織物産業に携わってきた会社です。和服から洋服、装飾品に至るまで、さまざまなブランドの刺繍を手掛けてきました。そんな私たちが「糸でアクセサリーを作ろう」と思い立ったのは、創業から130年後の2010年でした。
これまで積み上げてきた伝統を大切にしながらも、既成概念にとらわれず「0」から自由な発想でアクセサリーを作りたい。そんな気持ちでブランド名を「000(トリプル・オゥ)」と名付けました。
私たちが、常に「0」に還って見つめ直したい3つのもの。それがトリプル・オゥのこだわり、「素材・技術・発想」です。
糸という身近な素材。長い歴史で培われた確かな技術。使い手に喜びを届ける発想。この3つの「0」を掛け合わせて刺繍の新しい形を表現するだけでなく、「アクセサリー」という概念をも超えるものづくりに取り組んでいます。
「軽くて、強くて、私らしい」
そんなアクセサリーを届けたい。つける人を想うそんな気持ちを出発点に、「0」の組み合わせで作る無限の可能性。それが「000(トリプル・オゥ)」なのです。

素材

どんな物であっても、最終的には素材しか残らない。だからこそ、私たちは素材を選んだり、ゼロから作ったりするところからこだわります。素材の風合いを感じてもらえるよう、デザインもできるだけシンプルに。
糸という素材の表現力は、計り知れません。染め方次第でカラーバリエーションはいくらでも広がります。さらに、原材料の組み合わせや撚(よ)りの強さによって、表現だけでなくつけ心地まで変わってくるのです。
つけたときに重たくないか、ゴワつかないか。普段の服装に、どんな色や輝きを添えることができるか。糸でも強度を持たせ、いかに長く使っていただけるか。そんなふうに着ける人のことを考えながら、素材を組み合わせていきます。
こだわり続けることができるのは、織物産地、桐生だからこそ。地元の職人さんとともに、心から納得できる素材を作り出すことができます。私たちがこだわる「素材」は、桐生という織物産地と、身につける人への想いの上に成り立っている最高の産物なのです。
こだわりの素材づくりの裏側はこちら: 「桐生を感じる「素材」、職人たちとともに」
技術

明治時代から140年間に渡って、桐生の織物産業を支えてきた笠盛。その積み上げてきた確実な刺繍技術を活かして生まれたのがトリプル・オゥです。
特徴的なのが、手仕事と機械、2つの技術の組み合わせ。
一言で「機械」と言っても、データをプログラムするところから機械の調整まで、実は多くの人の手によって成り立っています。特に、下地となる布は湿度に弱く、その日の天候や湿度によって細かい調整が必要。さらに糸の素材によって、針の太さなども変わってきます。機械を操る技術も、この伝統の中で培ってきたものなのです。
機械を使った作業から仕上げの手作業まで、多くの人の手を通って作り出されるアクセサリー。ひとつひとつの工程が、胸を張れる私たちの「技術」です。
アクセサリーがどのように作られているのか、技術とアイデアが結集する工房の様子を紹介:1本の糸からアクセサリーをつむぐ、私たちの「技術」
発想

「刺繍で、立体のアクセサリーを作れないだろうか」
これが、刺繍を生業にしてきた私たちに降りてきた、最初の「発想」でした。長年の職人たちからは口々に「難しいよ」と言われる中で試行錯誤を重ね、ようやく完成した立体の刺繍。「糸のアクセサリーを届けたい」という発想に答えてくれた職人たちのおかげです。
今ある技術でできるものを探すことも大切ですが、トリプル・オゥが大事にしているのは「できない、だけど作りたい」という想い。
「こんなものが作れたら、お客様は喜んでくれるかな」そんな発想が生まれると、今は作るのが難しかったとしても、そのために技術を高めていきたいと思うのです。
想いから生まれた発想があり、実現させるために技術や素材を生み出し、表現できるデザインに詰め込む。トリプル・オゥの無限大の可能性は、最初の「発想」から始まっています。
「発想」から生まれたアクセサリーたちのストーリ―はこちら
000のはじまり
刺繍業を営む株式会社笠盛が2010年に始めたアクセサリーブランドが、私たちトリプル・オゥです。「刺繍屋が、糸のアクセサリーを作る。」一見、簡単なことのように思えるかもしれません。でも、私たちが自分たちらしいアクセサリーを作ることができるようになるまでには、長い道のりがありました。ここでは、トリプル・オゥというブランドが生まれるまでのストーリーをご紹介します。
霧と織物が生まれる町、桐生で
「西の西陣、東の桐生」とも謳われる、歴史ある織物産地、群馬県桐生市。渡良瀬川と桐生川という2つの川に囲まれ水路が発達したことで、機屋や染物屋などの織物業が栄えてきました。「桐生織」を始めとした多くの製品を生み出し、織物とともに発展してきた町です。

(桐生の町並み)
春や秋には霧に囲まれることも多いこの町。「霧が生まれる」から「桐生(きりゅう)」と名付けられたという説もあるのだとか。ほどよい湿気は糸切れを防ぎます。霧も、織物産地としての桐生を支えてきた物のひとつなのかもしれません。
織物が町の産業となってから、およそ1300年。撚糸、刺繍、機織り、さまざまな職人が分業制で織物の歴史を紡いできたこの桐生で、株式会社笠盛は生まれました。
一緒につくる刺繍集団、笠盛の誕生
明治10年(1877年)に機屋として創業した笠盛。主な製品は着物の帯で、中でも『笠盛献上』と名付けたオリジナルの帯が人気になったことをきっかけに、桐生を代表する織物メーカーになっていきました。
明治時代、日本のファッションを語る上で、時代の波が大きく動いていた頃です。人々の着るものがだんだんと着物から洋服へと形を変えていく。そんな時代の流れとともに、私たちも機屋から刺繍業へ。最初は、靴下のワンポイントを刺繍するところから始まりました。そのうち和服の刺繍なども手掛けるようになり、徐々に世界的なファッションブランドからの依頼を受けるほどにまで技術を高めていったのです。現在でも世界中のファッションブランドを始め、和装や歴史的な装飾品の補修など、さまざまな刺繍を任されています。
私たちが大切にしているのは、ブランドと一緒にものづくりをする姿勢。シーズン毎に流行や方向性を話し合いながら、それぞれのブランドに合った笠盛の技術を提案をしています。ブランドによって違う、守りたいものを理解すること。そして、ただ請け負うだけではなく「一緒に」商品を作っていくのが、笠盛という刺繍集団の信念です。
新しい刺繍の形をさがして
「これまで培ってきた技術で、『新しい刺繍の形』を作れないだろうか」
長年、ファッションブランドの刺繍を請け負ってきた笠盛に新しい風が吹いたのが、2005年。デザイナー・片倉の入社をきっかけに、『刺繍の新たな形』の模索が始まりました。糸という素晴らしい素材が持つ可能性、これまで積み上げてきた技術の活用。新たな発想をもとに試験的に作ってみたのが、トリプル・オゥの前身となる「笠盛レース」でした。
レースには、編み針で編んでいくものもありますが、実は「水溶性の不織布」と呼ばれる水に溶ける布に刺繍をする方法もあります。土台となる生地が溶けることで刺繍のみが残り、レースとなるのです。普通の生地に比べて扱いが難しい布ですが、そこに私たちが得意としていた「かぎ針刺繍」を組み合わせることを思いつきました。
かぎ針刺繍は、ニットのようなやさしい風合いを持つ刺繍方法。ニットのようでありながらも、ニットにはできない装飾を施したり、他の種類の刺繍と複合させることができたりと、表現の幅が広がります。当時、かぎ針刺繍の技術を持つ刺繍屋は限られており、さらに、それを溶ける布に刺繍するなんて発想は、誰にもはありませんでした。
ニットのような風合いを持つ、不思議なレースで作り始めたのは、服飾パーツです。通常、刺繍の仕事ではブランドから生地をお預かりして刺繍します。もし、生地に直接刺繍せずに、レースやパーツをブランドの洋服に後からつけてもらうことができたなら。そこから、今までにはなかった新しい出会いやチャンスがあるのではないか。そんな気持ちが「生地に刺繍しない刺繍」につながったのです。
私たちが得意としている機械と手仕事の両方を生かした、ぬくもりのあるレース。「笠盛レース」と名付けた手法でできる、新たな表現を探し始めました。
「自分たちらしさ」の追求
構想から2年後の2007年。「笠盛レース」を手に、私たちはパリで開かれたモーダモン展示会に参加していました。世界中からの集まった数々の出展者のなか、笠盛レースは会場で開かれたコンテストで『VIPプロダクト賞』を受賞。笠盛レースのような製品が、他のどのメーカーにもなかったことが決め手でした。この手法をもっと極めたら可能性が広がるのではないか。そんな希望が私たちの中に広がった瞬間です。

その後、クッションカバーやバッグなど、笠盛レースの活用法としてさまざまな物を作る日々のなかで出会ったのが、アクセサリー。初めてアクセサリーを作ってみたときに、相性の良さを感じたのです。糸で作られたアクセサリーは軽くて、アレルギーも気にならない。糸や刺繍の強みを活かしてアクセサリーが作れたら、使う人にとって優しいものになるはず。
そして2010年6月、インテリアライフスタイル展に、初めて「000(トリプル・オゥ)」として出展。当時はアクセサリーのみならず「既成概念にとらわれない刺繍ブランド」として、さまざまな物を作っていました。ずっと追い求めていたのは「自分たちらしさ」と、それが一番お客様に喜んでもらえる形。私たちだから作れるもので、誰かの日常を彩る、そんなものを探し続けていたのです。
そして、刺繍の技術で「自分たちらしさ」を届けることができるのがアクセサリーである、と覚悟を決めたのが2012年。創業から130年、アクセサリーブランドとしての新たな歴史が始まりました。
できない、だけど作りたい
糸でアクセサリーを作ろう。そう決めたときに反発が大きかったのは、実は社内の職人たちからでした。
「立体なんて、できるわけないよ」「わざわざ自社商品を作る必要があるのか」
確かに、笠盛レースのときと違って立体を作るのは技術的にも難しいことでした。でも、それ以上に、今までやってきたこととのギャップがみんなを戸惑わせていたように思います。
ファッションブランドから依頼される仕事は、自分たちの技術をベースとしながら、できることの少し上を目指すものが多い。一方で、トリプル・オゥでやろうとしていることは、同じ刺繍の技術を使いながらも、ゼロから何かを作り出すものでした。今まで培ってきた技術や経験をもってしても、作れるかわからない刺繍。新しいことに対する不安が、社内から溢れ出していました。
今持っている技術の中で、作れるものを提供するのは、メーカーとして大切なことです。しかし、トリプル・オゥで大事にしているのは「できない、だけど作りたい」という想い。「お客様の生活を、私たちのアクセサリーで彩る」そのために、今は作るのが難しかったとしても、技術を高めていきたい。その技術革新を、諦めたくないのです。
ものづくりをする私たちは立ち止まれない、突き進むしかないんだ。職人たちと話をしながら、なんとか走り出したトリプル・オゥ。これまで作ったことのなかった形状や刺繍方法の試作を、何度も何度も繰り返しました。あるときは形が整わなかったり、またあるときは糸が切れてしまったり。ゼロから物を作り出すことの難しさと尊さを、同時に感じる日々でした。
技術と発想で日常を豊かに
最終的に職人たちの気持ちを大きく動かしたのは、実際にアクセサリーを手にとって喜んでくださるお客様の姿でした。注文が増え、喜びの声をいただくたびに、自分たちのアクセサリーを欲しいと思ってくれる人がこんなにいるんだ、と誇らしい気持ちが芽生えていきました。
そして現在は、刺繍工房にファクトリーショップを併設。「そちらに直接行っても買えますか?」というお問い合わせを多くいただいてのオープンでした。わざわざ県外から足を運んでくださるお客様も多く、ますます私たちが糸のアクセサリーを届けたい相手が鮮明に見えてきたのです。
ファクトリーショップには、デザイナーも職人も、みんなが交代で店に立ちます。ミシンや仕上げなど、自分たちが担当する工程のお話ができるので、「今日は誰がいるかな」と楽しみに来てもらえたら、と思っています。私たちにとっても、お客様と直接お話できる楽しみな時間。お客様の声を聞きながら、より喜んでいただけるアクセサリーづくりに生かしていきます。
また、ファクトリーショップで担いたい、もうひとつの役割があります。それが、桐生という町と外をつなげる観光案内所のような存在。トリプル・オゥのアクセサリーがきっかけで、桐生に足を運んでくださるお客様には、この町の魅力をもっと知ってほしい。そんな思いから、桐生の暮らしや文化を体感してもらえるファクトリーショップにしていきたいと思っています。
長年続けている刺繍の仕事は、ファッションブランドと一緒にものづくりをする楽しみがあります。ただ、今までは身につけてくださるお客様と直接会話をすることはありませんでした。自分たちの技術が、目の前の人に愛してもらえる喜び。今までと違う挑戦の先にあったトリプル・オゥは、今までと違う喜びを、私たちにもたらしてくれたのです。
こうして生まれた、トリプル・オゥ。今では200を超える商品ができました。機屋として創業した140年前から、私たちにできることで喜びを届けたいという想いは変わりません。
「技術と発想で日常を豊かに」
桐生という町で生み出す素材、自分たちらしく積み重ねた技術、刺繍の可能性を模索し続ける発想。ここで生まれる糸のアクセサリーが、お客様ひとりひとりの日常を豊かにすると信じて。
糸のアクセサリー
「新しい刺繍の形」として作り始めた糸のアクセサリー。実際に使ってくださるお客様の声に耳を傾けると、糸ならではの使い心地の良さがあることに気が付きました。ここでは、使う人にやさしい糸のアクセサリーの特徴や、私たちだからできるリペアサービスについてご紹介します。
つけていることを忘れてしまう「軽さ」

トリプル・オゥのアクセサリーを手に取ったお客様の第一声は、いつも「軽い!」。
金属にも劣らない輝きを持ちながら、その軽さは金属とは比べ物になりません。例えば、人気商品『スフィア・プラス』60センチの重さは、およそ6グラム。ポケットティッシュの7グラムとほぼ変わらない軽さです。
ネックレスで肩が凝ったり、重たいピアスで耳が痛くなったり。「おしゃれは我慢」と耐えてきたお客様からは、「つけているのを忘れてしまう軽さだね」と嬉しい声をいただいています。
表現の幅を広げられるのも、軽い糸のアクセサリーだからこそ。何本重ねても、存在感のある大ぶりのデザインであっても、肩や首に負担をかけません。つけていると気持ちまで軽くなるような、やさしいアクセサリーです。
金属アレルギーの方にも、やさしい

糸でアクセサリーを作り始めてから気付いたのは、金属アレルギーのあるお客様にとても喜んでいただけるということでした。アレルギーによって、どうしてもおしゃれが制限されてしまう方の中には、「もうアクセサリーをつけるのは諦めていた」という方もいらっしゃいます。
トリプル・オゥのアクセサリーの中には、デザインの工夫で金属をまったく使わないものも多くあります。金属パーツを使う場合も、安心して使っていただけるようアレルギーが出にくい素材を使用。糸のアクセサリーだからできる、どんな人にも寄り添えるアクセサリーを目指しています。肌にやさしく、使う人に心地よく。贈り物にも喜ばれる理由のひとつです。
糸だから、洗えます

「汚れてしまいそうで、こわくて」
またしても、お客様の声で気がついた「糸のアクセサリーは洗える」ということ。たしかにアクセサリーって素肌につけるものなのに、洗えないものが多いです。トリプル・オゥのアクセサリーは、製造工程で一度丁寧に水洗いしています。作り手の私たちにとっては当たり前すぎて、お客様にお伝えできていなかったと気付かされました。
それを機に、商品には「手洗い方法」を同封しています。汗や汚れが気になるときは、同封されているケアタグの手順に沿って、やさしく洗ってあげてください。洋服と同じように、しっかりケアをすることで長くご愛用いただけます。
汚れを気にせずに、いつでも、どこへでも。特別な日だけでなく、日常も旅先も彩る相棒として、糸のアクセサリーをおすすめしたいです。
何度でも直せる、永久保証(リペアサービス)

販売しておしまい、ではなく、アクセサリーを長く楽しんでいただくサポートができないか。そんな想いから、リペアサービスを受け付けています。
糸がほつれてきた。ひっかけて切れてしまった。金具がこわれた。どれだけ大切に使っていただいても、つけてくださっていれば壊れることもあります。ショックな場面でも「あそこなら直してもらえる」と、安心していただきたいのです。使っている商品と同じ素材の糸を使い、職人の手でひとつひとつ丁寧に修復します。
私たちにとっても、リペアサービスはずっと続けていきたいこと。手元から羽ばたいていった商品を通じて、何度でもお客様とつながりたいと思っています。
身につける方の人生に長く寄り添える、そんなアクセサリーとブランドを目指して。
スタッフ紹介
トリプル・オゥのスタッフをご紹介。日々、糸と向き合い、アクセサリーを作っているチームスタッフです。
プログラム作成、ミシン、仕上げなど、多くの工程を必要とするアクセサリー作り。目の前の作業は別々でも、それぞれが自分たちの持ち場を責任持って守っています。全員の心にあるのは「素敵なアクセサリーを作って、お客様に喜んでもらいたい」ということ。
また、工房に併設したファクトリーショップには、スタッフが順番に立ちます。お話しするスタッフの担当によって、同じ商品でも見えてくる世界が変わってくるかもしれません。「今日は誰がいるかな」そんなふうに楽しみに来ていただけたら嬉しく思います。